つれづれ

自衛隊広報の皆さんの笑顔が印象に残った。
政治に振り回されながらも、彼らはただただ一心に「国民の皆様のために働きます」と言っていた。有事があれば、どこへでも、国民の命を守り、救うために。


災害現場でも、被災者のためにお風呂を沸かし、あったかいご飯の炊き出しをしても、自分たちはシャワーすら浴びれず、カンメシとレトルトとインスタントの食事(戦闘糧食)を食べている、自衛隊の皆さん。
それなのに、自衛隊を敵視する人たちは、こぞって自衛隊のアラ探しをする。
シャワーを浴びなければ「不潔だ」と責め、浴びれば「被災者が先じゃないのか」と責め立てる。
炊き出しを食べれば「被災者優先だ」と責め、カンメシやレトルトの戦闘糧食を食べれば「自衛隊だけ特別なものを・・・」と責める。
いまや、国内の災害派遣の現場でさえ、自衛隊員は身を潜めて、コッソリとメシを食わなければならないところにまで追い詰められているのだ。


エゴかも知れない。
でも。
僕の実家のある静岡では、東海地震という危機が迫っている。
家を建て替えたばかりの僕の実家でも、家の倒壊や火事が起きない、という保証などない。液状化で傾くかもしれない。
でも、そんな地震が起きたときに、僕は東京にいるのだ。
もうすぐ還暦を迎える父と母、離れて住んでいる祖母がもし地震に巻き込まれたとき、僕は助けに行くことができないのだ。
そんなとき、頼りに出来るのは自衛隊しかいない。少なくとも、僕には自衛隊が必要に思えるのだ。
自衛隊がいることで、僕の両親は命を救われるかもしれない。もちろん、何の怪我もなくすごすかも知れない。そんなことは分からない。分からないからこそ、最悪の状況を考えてしまう。そんなとき、僕の代わりに両親を助けてくれる人がいる、ということの何と心強いことか。


自衛隊が軍隊なのかどうか、とかいろんな議論があるだろうし、国際派遣が問題になる背景も理解できないわけじゃない。
でも、それ以前に、国内の災害派遣で、一人でも多くの命を救おうとして働いている人たちを、政治的意図だけを以って責め立てたりしないで欲しい。


彼らの純粋な気持ちを、政治政策のために踏みにじるのだけは、絶対に止めて欲しい。
心からそう思った。