懐かしの母校

サッカーが盛んな浦和のフリーペーパー、「浦和フットボール通信」の4月号に、我が母校、藤枝東の服部監督のインタビュー記事が掲載されていた、という話を聞いた。入手して読んでみた。
あぁ懐かしの服部先生。僕が高校生だったころと全く変わらない。この全国的に有名なサッカー部の監督も、身分は単なる一体育教師であって、僕はこの人に授業でサッカーを教えてもらっていたのだ、と思うと誇らしい。
藤枝東は、サッカーが「校技」なので、男子生徒は全員強制でサッカーシューズ*1を購入させられる。入学式前に新入生が体育館などに保護者と一緒に集められて、体操着だとか必要な調度品を購入する、あのときに、サッカーシューズも一緒に購入するのだ。
そして、そのサッカーシューズは、3年間の体育の授業でフル活用される。冬の時期のマラソンとスポーツテストの時期、そして体育祭の直前のマスゲーム*2以外は、藤枝東の体育の授業はサッカーしかやらない、といっても過言ではなかった。雨の時にバスケや柔道をやる程度で、他はとにかくサッカー。65分授業の最初に体操をやったら、後はウォームアップでもボールを使う。インサイド、アウトサイド、リフティング…それをこなしたら適当にチーム分けして、試合。それが3年間続いた。
懐かしの藤色のユニフォーム。この記事にも写っているサテン地のユニフォームは、98年に全国出場が決まったときに大慌てで新調したものだ。それ以前の県大会までのユニフォームは、ちょっとばかり色褪せた、光沢のない綿のユニフォームで、背番号も白だった。
吹奏楽部員のラッパ吹きだった僕は、このユニフォームをスタンドから見ながらラッパ吹きまくって応援してたなぁ。県大会の決勝など、特に気合入れてハイトーン吹きまくって。自分のラッパの音を公共の電波に乗せるためにw
つか、部活動は引退してたのにわざわざ制服着て自費でラッパ持って競技場まで行って、現役生に混じって吹きまくったもんな。


そうか、僕らの代が国立に行った最後の静岡勢なんだ。初めて知った。ゴン中山世代以来の国立出場とは聞いていたけれど。
僕らのころは静岡の高校サッカーはとても面白かった。なにせ、この頃、静学の選手が全国制覇したときに「県大会の決勝が一番辛かった」と言って、全国の顰蹙を買ったという逸話があるくらいだから。


藤枝東が国立に行ったこの98年、東福岡と吹雪の国立で、蛍光オレンジのボールで対戦したんじゃなかったかな?センター試験前で、応援に行けずに教室でラジオ聞きながら受験勉強したっけ。


県大会決勝、延長に入って、藤枝東の勝ち越し点がオーバーヘッド風?シュートで決まってから、静学のGK南雄太が東高のゴールマウスまで上がってオフェンスに参加したものの、結局タイムアップ、藤枝東の優勝。。。という劇的な流れは今も忘れられない。
そういえば、この決勝戦、テレビで生中継されてたけど、そのときのゲスト解説者はなんと、準決勝で敗退していた清水商の小野伸二だった。


ゴン中山は、藤枝東にたくさんの逸話を残していて、それが僕らの代までずっと伝説として伝えられていた。
進学校藤枝東にあって、ゴン中山はかなり落ちこぼれだったようで、サッカー推薦で筑波大に決まったあとも、その推薦受験でのペーパーテストがかなりヤバかったとか。受験直前は、クラスメートが自分たちの勉強をなげうって、ゴン中山に勉強を教えていた、という話が残っていた。


あぁぁ懐かしい。

*1:スパイクがプラスチックのやつ

*2:「高校生体操」「柔道体操」