責任と自由

前の記事から、少し間が開いてしまった。
その間、ずっと悩んできたことがある。それについて、少し書いてみたい。


ブログ書きにとって、責任とは逃れられないものの一つであろうと思う。
ネットとは、良くも悪くも、ある程度の自由が保障されている(まかり通っている)場所だと思う。自分のブログを立ち上げたら、何を書いても、基本的に法に触れなければ勝手に削除されたりすることはない。言論の自由の最先端みたいなものだろうか。
その一方で、企業秘密に触れるような記事を書き、その企業から訴えられたり、自分の職を失ってしまったり、という例は特にアメリカでは枚挙に暇がない。
何を書いても自由。しかし、その記事には職業ジャーナリスト並の責任が付きまとうのも事実。


僕は以前、この日記を「ブログではない、自分が書いて読むための日記だ」と言った。もっとも、ネットに公表している時点でそんなことが通用するわけがないのは自覚の上で。
しかし、それ以上に僕は責任を感じていることがある。


このホームページはもともと、岩城美香さんの応援ホームページとして立ち上げた。しかし、その名目を失ってからも、未だにこのホームページが岩城美香さんを応援し続けていることは明白だ。また最近は、他のアーティストさんなど、応援したい!と思う人がいるのもまた事実である。


そんなとき、このブログがあまりにも過激なことを書いていると、その人たちにまで影響が及んでしまうことがある。「あんな人が応援しているアーティストなんだから、きっとああいう思想を持っているに違いない」などと思われてしまう。アーティストさん本人ではなく、応援している人のブログやホームページだけで悪い判断を下されてしまうこともあると思う。


そうなると、応援したい!と思った時点で、ブログには書けないことが山ほど出てきてしまうのだ。今までのように、「自分に読ませるものだから、自分の中にたまった誰にも言えない意見を吐き出す場所だから」というのが通用しないのがわかっていて、言いたい放題言いまくり、その同じページで誰かの応援、なんて出来ないのだ。


中国問題、女性専用車問題…書きたいことはたくさんある。
でも、今は自重すべきか。…そんなことで悩む今、自分の出したいものを出せない今。
どのようにこのブログを運営していけばいいのだろうか。


未だに答えは出ていない。