一年を振り返って。

一年前の今日、もう東京都の住人になっていた。
寮に入ったのが3月28日。アキバにすぐ掃除機を買いに行き、なぜか風邪を引いた。
熱は出るし、花粉も飛んでいたし、関節が痛む。入社式には、最悪の体調で臨んだ。
一年前にこの日記に書いたこと、今でもまったく同じことをすらすら書ける位に、一年前のことをはっきり覚えている。
あの日、僕が今、この職場で働くことになるなんて、夢にも思わなかったし、予想なんてまったくつかなかった。


同じことが、これまでの25年の人生の節々で言える。まったく同じことが。
高校の入学式。理系と文系の分岐点。大学受験。大学入学と学科選択。学科内のコースと研究室の選択。大学院進学と研究室選び。就職活動。そして、入社。
それぞれの選択を迫られたとき、僕は、将来について深く考えることなんてしなかった。いや、出来なかった。将来なんて、その時点ではまったく見えないものだったから。将来なんて、占い師にも予言者にも「見ること」は出来ないんだから当たり前だ。あくまで想像で、そして運と勘で、自分の進む道を選択してきた。


そして、今、僕は胸を張って言える。
今の自分が大好きだ、と。今の仕事が大好きだ、と。
そして、そんな今があるのは、それぞれの選択の時点で、「今につながってくるための、最高の選択をしてきたから」だと思う。それは、決して自分の将来が予言できたからじゃない。多分、人間の本能なのだろう。将来など考えず、行き当たりばったりで選んできた結果が、「今の環境が大好き」なのだ。
もちろん、「これは選択を誤った…」と思ったときもあった。
高校2年で理系を選び、大学受験直前の模試で物理3点(50点満点)を取ったとき、文系に行けばよかった、と死ぬほど後悔した。
大学院で研究室の助手にいびられた時は、胃を壊し、精神的にもおかしくなり、1週間ポカリスエットだけで生き長らえながらスクールカウンセラーに相談し、最終的には研究室変更を願い出た(却下されたが)。


しかし、それらの選択ミスと思われたことも、今となってみれば、単に今に繋がるための一つのプロセスでしかない。あのとき、文系に行っていたら。研究室を変更になっていたら。そのときはきっと平穏無事な生活が得られたかもしれないが、今の大好きな自分が得られていないかもしれない。もっとも、文系に行っていたらもっと幸せで大好きな自分が得られていたかもしれないが…。
例え今、僕が僕を好きになれず、自分を不幸せだと思っていたとしても、それは、僕がさらにその先の将来、幸せで大好きな自分を得るための一つのプロセスに過ぎず、きっとその先の将来で幸せな自分をつかむことが出来るだろう。


きっと人間は、自分の進むべき道を運と勘だけで判断できる知恵をどこかに持っているはずだ。そして、きっとそれに従って、僕らは生きているに違いない。
先なんてわからないんだから、この先の人生っていう暗闇のなかを、ただやたらと突っ走ることしか僕らにはできないんだ。だから、僕はこれからも突っ走る。自分の運と勘に従って。


だから、あなたもガンガン突っ走ってみてください。


明日入社式を迎える皆さん。心からおめでとう。

そしてカンちゃん、時間できたら飲み行こうぜ。社会人では一年先輩だけど人生では同期の俺が、精一杯、キミの就職をお祝いするよ。割り勘で。