「もったいない」という言葉の惨めさ

異動が確定した。
最初に打診を受けたのが9月中旬。
「11月1日に支社工場への異動」というのがその内容だった。


だが、話を聞いているうちに、気分は萎えていった。


僕のいる事業部が、不況をまともに食らって、赤字ばかり増えていること。
今回の人事が、その赤字対策としての人減らしであること。
僕が化学屋だから、という表面的な理由で、まったく関係のない職場へ送り込もうとしていること。
「fukaのキャリアを考えて」という割に、今後の僕に対する教育や、僕の使い方に、クソほどの興味を持っていないこと。
今手がけている仕事は今後の旗艦事業に、と社長が言っているにも関らず、その事業の実務者である、また大学院時代からそれを専門に扱っている僕を異動させようとしていること。


ここまで言うこととやることが180度食い違っていると、苛立ちを通り越して清々しい。
結果僕は、この会社でエンジニアとして生きていくことを諦めることにした。
今回の異動が、僕に対する「戦力外通告」以外には受け取れなかったからだ。


異動先は、総務を希望した。
能力給ではないこの会社に居続ける限り、同じ給料なら仕事が楽で毎日定時退社できるほうがいい。
上司に異動先の再考願いと希望を提出したら、それがあっさり通った。
11月から僕は、エンジニア引退して、総務の仕事に就く。


そんなやり取りを上司としている間に、何回も上司に言われたことがある。
「もったいない」。


「総務なんて、fuka君の高い能力がもったいない」
「それだけの能力と知識があれば、どこでもエンジニアとしてやっていけるのに、もったいない」
上司は何度も「もったいない」と言った。


「もったいない」のなら、何で異動させるの?と思う。
本当に心からもったいないと思うのなら、絶対に異動なんてさせないだろう。
異動させるにしても、全力で僕を説得して、エンジニアのままにしようとするだろう。
だが、そうではなかった。


「もったいない」
道路わきのゴミ捨て場に、まだ新しいような、まだ使えるようなものが捨てられている。
それを見て、人は「もったいない」という。
でも、その「もったいない」と言う人のなかで、その捨てられているものを何とかしよう、という人はいない。
皆に「もったいない」といわれつつ、そのゴミはトラックに載せられ、運ばれていく。


僕自身もそうだ。
「もったいない」と言われながらも、結局誰にも拾ってもらえない。
結局は、その程度の存在、その程度の能力しか認められていない、ということだ。
だから、上司に「もったいない」と言われるたびに、どんどん惨めな気持ちになっていく。





日本には「もったいない」という言葉がある。
その「もったいない」を世界に広めよう、という動きがある。
でも思う。
「もったいない」という気持ちだけ広めても、何の意味もない。
「もったいない」と思い、そこからどうやって行動するか。そこまで手本を見せないと意味がない。
関係ないけど、そんな気がする。