「勉強」の意味

はてなの匿名ダイアリーかどこかでも最近話題になったみたいだけど、「どうして勉強するの?」という質問をする勉強嫌いの中高生に対する返答、というのはそんなに悩むものなのかなぁ。


2ちゃんねるのコピペでは、「どうして英語や数学を勉強しなければならないの?」という質問に対し、教師が「そういう疑問を持つ人間は数学も英語も必要のない仕事に就くだけだ」という返事をした、というものがあったりする。


とあるマンガ*1では、「なんで人間って勉強しなきゃならないんですかね。別に方程式とか覚えたって社会で役に立つワケじゃないんでしょ?」という中学生に対し、女子大生の家庭教師が「アンタその歳で勉強以外にやるコトあるの?身体的にも肉体的にもガキのアンタがいっちょ前に独立して生きていく自信ある?無いだろ?無知で無力のくせに大人社会にケチつけるな馬鹿」と返している。


僕の高校時代の数学教師は、「確かに君にとって数学は無用なものかもしれない。しかし、君が親になって、子供が数学が分からない、と質問に来たときに、きちんと応えてあげられるように、やっておこう」と、文集に書いていた。


僕は少し考えが違う。
「なんで勉強が必要なの?」という人は、勉強が目的となっているんだと思う。
思うに、社会人となった今でも、高校時代でも、勉強が最終目的になることは、そんなに無いと僕は思うし、少なくとも僕の人生の中ではなかった。


受験勉強は、受験に合格し志望校に合格することが最終目的としてあったもので、勉強はあくまでその手段でしかなかった。
今、仕事でいろいろな知識を勉強して仕事をしているが、結局それは業務を遂行することが目的であり、勉強は知識を獲得する手段でしかない。


だから、なぜ勉強しなきゃならないの?という質問は、目的と手段を履き違えているなぁ、と思って仕方がない。
もしそういう質問をされたら、「何かになる、何かをするのが目的であって、その目的を達成するための手段が勉強。勉強しなきゃその目的が達せられないだけだよ」という回答をするだろう。
幸いにして、そんな質問をされたことは無いけれど。