森永卓郎のコラム

最近、毎週の日課にもなってしまった感のある、森永卓郎のコラム批判。
日経Safety Japan(BP Net)に連載されている森永卓郎のコラムは、とにかく「麻生憎し」の脊髄反射で書かれているような気がしてならない。*1
なので、こちらも麻生大好きで脊髄反射で反論を書いてみるw

就任前から懸念されていたことだが、麻生総理の失言が止まらない。

マスコミは取り上げないが、麻生就任以降、野党とくに民主党の失言も止まらない。
「アキバで麻生を支持する若者はナチを連想させる」というのは失言にはならないのかな。
国籍法改悪の件で、政治家がろくろく法案の内容を読んでいない、ということを露呈させた河野氏の発言などは失言にならないのかな。

その一方で、漢字の誤読についてもずいぶん報道された。日中関連のイベントで「四川大地震は『みぞゆう(未曽有)』の自然災害」「これだけ『はんざつ(頻繁)』に両首脳が往来したのは例がない」と読んだり、参院本会議で「村山談話を『ふしゅう』(踏襲)する」とまで読んだ。最後の例は「踏(ふ)む」と「襲」という、知っている漢字の読みを組み合わせたのだろうが、ちょっとお粗末だ。

確かに麻生氏は漢字の読み間違いは多い。
でも、それを批判するマスコミの報道姿勢に「間違い」は無いか?
『一国の総理大臣の発言としては、あまりに軽率であるとしか言いようがない。』というが、マスコミの世論を動かす力を考えたら、マスコミの報道姿勢はあまりに軽率であるとしか言いようがない。


ちなみに、僕は元「化学屋」だが、自己紹介のときなどは「バケガク」と呼んでいる。
「科学」と「化学」の違いをはっきりさせるために、合えて誤読が使われる例もある、ということ。
もっとも麻生氏の件がこれに該当するかどうかは分からないけれど。


麻生総理が失言をするのは、頭にぽっと浮かんだことを、脳でしっかり吟味することなく口にするために起きるのだろう。では誤読はどうかといえば、これは国会答弁やあいさつ文を、きちんと下読みしていないために起きる。下読みをしていれば、分からない漢字や、あやふやな漢字がでできたら、周囲の人に聞いたり調べたりするはずだろう。
もしかすると、重要な答弁についても、ほとんどがぶっつけ本番で読んでいるのではないか。

今回のコラムでは「下読みをして自分のものにせよ」と言うが、下読みしたところで次に待っているのは「原稿棒読み」という批判であろう。アタマの中で十分練り上げた演説をすれば、小泉氏のように「劇場型」などと煽られる。
結局、総理大臣はどのような答弁をしたら良いんだろうね。


当初、麻生総理は会見で「全世帯を対象に、年内に支給したい」と述べていた。ところが、与謝野経済財政担当大臣が「高額所得者に支給するのはおかしい」と反論すると、「それはそうだ」と、あっというまに前言をひるがえしてしまった。

僕はこれは正しいことだと思う。
自身が考えたことについて、反論があったり、間違いがあれば、即座に反省し検討をして、間違いがあれば即座に訂正するのが当たり前ではないかと思う。
もっとも、それをするプロセスは会見で言う前に済ませておけ、という反論もあろうが、現在の政治的、世界経済的な状況から言って、一刻も早く提案を発表する必要があったことを考えると、仕方がないとも思える。
確かに言うことがコロコロ変わるのは問題かも知れない。だからといって、制度に欠陥があるのにも関らず、一度言ったから、と強行に突き進められても困る。それがこれまでの政治であり、官僚的と批判されてきたことではなかったのか。それだったらまだ、コロコロ変わるほうが十分にマシだと思えるのだ。


わたしは麻生総理とは立場も違うし、そもそも消費税率を上げるべきではないという立場をとっている。でも、この言い方には驚いた。彼の立場からすれば、もう少し言い方を工夫する必要があっただろう。全く同じ内容でも、「3年後に消費税率を上げる」ではなくて、「3年間は消費税率を上げません」と言うべきではなかったのか。

政治はリップサービスの世界ではない。
言い方を変えようが何しようが、3年後に消費税率が上がることが既定路線。
それなら、「3年間は消費税率を上げません」というリップサービスをするよりも、事実や考え方を単純明快に「3年後に消費税率を上げる」というほうが、よほど分かりやすい。
たとえ内容が国民の希望と離れてしまっていようと、とにかく分かりやすい内容で伝えることが重要ではないのか。


ものは考えないし、言葉を大切にしない。こんな人がいつまでも日本のトップにいたら、日本の行く末はどうなってしまうのか。国民や野党はもちろん、自民党内の心ある人びともそう不安に感じているに違いない。

ものは考えないで麻生批判コラムを書く、マスコミ御用学者が、庶民のトップの面してたら、それはそれでイヤなんだけどなぁ。
「心ある人」っていうけど、結局自分の意見と同じ人を「心ある人」って言ってるだけでしょう。そこには客観的判断は何もない。
さらに言うなら、自分への反論は「心無い意見」となるのであろうか。


そして、「解散しないから」「予算案の提出がなされないから」と、一旦は賛成の意思を見せていた重要法案の採決に反対するという行為を行う野党が、「心ある」政治なのだろうか。
法案の中身を吟味せず、自分たちの意見が通らないから、という理由だけで賛成の法案をも否定する行為が、僕には国民のことを考えた「心ある」行為にはどうしても思えない。


氏の書くことが正しいかどうかは別として(もっともコラムであって論文ではないので、内容の正当性を考えるのはナンセンスだが)、自分を「良識のある」側と決め付け、それと同じ意見の人間を「心ある」などと書いているような文章を書く人間を、僕は信用しない。

*1:それに限らず、最近の森卓はどこでも麻生批判しかしてないような気がする。アキバ系経済学者として人気を集めかけたところで、アキバ系総理大臣が出てきたので話題をさらわれて、それで批判を強めているのでは?と邪推してみる