日経よ、こんなものか

普段、仕事で読んでいる日経TECH-ON!のサイトより引用。
『【MacBook Air分解:番外編】我々はなぜ「無駄だらけ」と書いたのか』

 Tech-On!に掲載した記事「【MacBook Air分解その5】外は無駄なし,中身は無駄だらけ」は,我々の予想を超えて多くの読者に読んでいただいた。そのこと自体は記者にとって望外の喜びである。だだし記事のコメントなどを読んでいて,読者の一部に我々の意図がうまく伝わらなかった懸念を覚えた。Apple社の話題を取りあげると熱狂的なコメントがつくことが多いので,しばらく静観していたところ,米Wired誌のブログ(日本語訳はこちら)で取り上げられて話がややこしくなった。Wired誌の記者はとんでもない勘違いをしているように思える。我々記者や記事に登場する技術者がApple社に嫉妬したり,同社を侮辱しているととられたならば,大間違いである。

最近の出版業界ってのがどういうものなのか、分からないけれど。
記者という仕事は、先入観なく、誰もが一回読んだだけで、記事を曲解することなく理解してもらえるような文章を書くのが仕事だろ?
もちろんそれが理想像であって、それが必ずしも実現可能か否か、という問題はある。しかし、実現不可能な理想であっても、その理想に近づく努力、すなわち、曲解されないような、分かりやすく簡潔な記事を書く、ということに対する努力は怠われてはいけないはずだ。プロの物書きとして、それでメシを食っているのなら。


しかし、最近、インターネットで「プロ」の人が書いた文章を読んでいて、明らかに不勉強な、マトモに文献調査もせず、他のインターネットの文章を読んで裏を取ることもせず「脊髄反射的に」書いたように見受けられる文章が増えてきた。
それでプロか?と思う。
まして、それが「ブログ」という形態をとっているがために、間違いや曲解されやすい内容を含んだ文章をアップロードし、次の記事で「間違いがありました」と気楽に訂正をアップロードして…というところも多い。


僕が学生の頃は「文章の組み立てを勉強したければ本を読め、新聞を読め」と何度も言われた。もうインターネットが十分普及していた時代にも関らず。
しかし、ブロードバンド時代の今でさえ、「プロの記者が書いたネットの記事を読んで勉強しろ」と言われることはない。
ブログやインターネットの情報は信じられない…という根強い批判がいまだに消えないのは、このような、プロアマ問わず、間違いを含んだり、曲解されやすい文章が気軽にアップされ、読まれて、当然のごとく間違って理解されることが多いからではないか、とすら思ってしまう。


世の中に書籍しかなかったころは、こんなに簡単に文章を世の中に出すことは叶わなかったであろう。記者の文章が、社内から印刷所まで、何重にも渡って推敲されていたのだから。たとえ恣意のある文章であったとしても、どこかで訂正が入っていたのではないか。
今の世の中、僕みたいなヘタな素人がこうやって文章を世の中に発信できる。
その裏で、曲解されやすく、また間違いを多く含んだ文章も世の中に数多く発信されているのも事実である。


だからこそ、プロの人には、間違いも曲解される要素もない、分かりやすい文章をネットに発信してもらいたいと思う。

注2)ちなみにWired誌の記事には,我々が書いていないことまで書いてある。「there's definitely extra space in there, which is strange considering that it's the world's thinnest in-production laptop. (Wired誌の日本語版の訳:内部には明らかに余分なスペースがあり、これが、現時点で製造されている世界で最薄のノートパソコンだと考えると奇妙なことだというわけだ)」とは,いったい原文のどこから読みとったのだろうか。Wired誌の日本語版の記事には,「リンクをはった記事(=Tech-On!の元の記事)からは、『内部には明らかに余分なスペースがあり』というワイアード記者の文章に対応する部分は見つけられなかった」との但し書きがあるが,英語版はそのままである。しかも,英語版の当初の記事は,宇野記者を技術者として紹介していた(現在は修正されている)。Tech-On!が掲載した英訳記事のニュアンスの問題かもしれないが,そうだとしても日本語の原文を読んだ上で記事を書くのが記者の基本だと我々は考えている。

まったくその通りであるが、それ以前に、曲解されないような内容の文章を作成することが、記者の基本ではないだろうか。