複雑、憂鬱、分裂

会社を休んだ。
なんとなく体のだるさが取れないから、というのもある。土日と歩き回ったのは久しぶりのことだったし、そのために貴重な日曜日の惰眠の時間が取れなかったのは痛い。全体的に寝不足だったし。
でも、それよりも、金曜日の一件が尾を引いているのが大きい所がある。


僕の父親は、自分にも厳しいが、他人にはもっと厳しい。戦後の生まれには珍しいくらいの頑固オヤジである。
とにかく、筋の通らないこと、曲がったことは絶対に許さない。その父親の血を継いでいる僕も、その気持ちは痛いほどわかる。
もし、金曜日の朝、背中をど突かれたのが父親だったら、父親はきっとその場で殴りかかっていたに違いない。僕も、そういう気持ちを持ったから。


僕の母親は、いざこざが大嫌いな人である。「いざこざを起こして人に迷惑をかけるくらいなら、自分さえガマンすればいい」という、よく言えば優しい、悪く言えばお人よしの母親である。
金曜日の朝、やられたのが母親だったら、何も言わずに翌日から自分が乗る車両を変えるだけだろう。


僕は、二人の親から生まれた子供だ。
だから、二人の考え方をそっくりそのまま受け継いでいる。


ど突いたのはあのバカオヤジであって、彼の行動のどこをとっても道理はない。絶対に許される行為ではないから。
そして、今後気持ちよく通勤するためには、僕が毎朝乗る車両を変えればいい、という正解はよく理解している。


その一方で、道理はこちらにあるのだから、なぜオレのほうが乗る車両を変えなきゃならないんだ、それは単なる逃げだろ?という苛立ちを抑え切れない。


父親の考え方と母親の考え方が、全く妥協することなく、僕の心の中に同居する。
一つの物事に対して、全く相反する二つの考え方が、同時進行で僕の心の中に存在する。
僕はある意味で二重人格なのかも知れない。
今後、どうやって僕は自分の心と付き合いながら生きていかなければならないんだろう。
どうやって自分で自分の心を宥めればよいのだろう。