福知山線脱線事故の死亡者、全107名に黙祷。

あの事故を境に真剣に考えたのは、自分のエンジニアとしての考え方、生き方。


こんな例え話がある。
これから使う素材に毒が入っていたとする。そんなとき、技術屋のできることは3つ。
(1)「毒を完全に取り除いて(精製して)使う」
(2)「毒を中和しながら使っていく」
(3)「毒の入っていない素材を新たに選び、一から作り直す」
さて、どれを選んだらよいだろうか。


僕の大嫌いなとある技術評論家は、こんなことを言っていた。
「ステンレスやアルミの車両は弱い。もっと強い車両を作っていれば、ぶつかっても死者は半分で済んだかもしれない。」
ステンレスやアルミの車両が弱いという事実もなく、彼の評論はデタラメや間違い、矛盾だらけなのだけど、一番許せないのは、「死者が半分で済んだかもしれない」という一言だった。
死者が半分で済めば、事故が起こってもいいのだろうか?そんな対症療法的なことで、事故をなくすことが出来るのだろうか?


人間だから、100%はありえない。
しかし、限りなく100%に近づけ、事故の起きる確率を限りなく0に近づけていくこと。
事故の原因がわかるのであれば、それを教訓に、事故の原因を大本から断つ。
それが、技術屋として選ばなければならない方策だと考える。
そして、それを選ぶことが、僕のエンジニアとしての生き方だと考える。


鉄道ファンとして、エンジニアとして、事故を教訓として、こういうことを僕は考えた。
こういうことしか僕はできない。