「おちこぼれ」の哲学


仕事をするようになってから、「おちこぼれ」でいたい、「おちこぼれ」のほうが人生ラクだ、と思うようになって久しい。


褒められたり、怒られたりするたびにいつも思うこと。


勉強のできる子。
いつも、テストでは平均点90点を取っているような子。
この子があるときのテストで、65点を取った。
周りの人は、哀れんだり、「次は頑張ろうよ」と励ましたり、心配したり。


勉強のできない子。
いつも、テストの平均点は40点。
その子があるときのテストで、65点を取った。
周りの人は大喜びで、「よくやったね、すごいね」と褒め称えて、「次も頑張ろうね」と励ましたり。


同じ65点でも、褒められる人と褒められない人。評価される人と、されない人。
どちらが勉強が出来るか、という指標で見た場合、明らかに平均点90点の人のほうが優れてるはず。
でも、どちらが褒められ、評価されるかというと、平均点40点の人の方なのだ。


点数が上がった人と下がった人の違い?
じゃあ、平均点90点の人が100点取った場合と、平均点40点の人が80点取った場合では、どちらが評価される?


と例示を出すと、「上がり幅が違うよね」という感じの反論がくる。


要するに、国民性として、「平均点90点の人がどうにかなった場合」よりも「平均点40点の人がどうにかなった場合」のほうが評価が高いのだ、この国は。



だったら、より自分の評価を高めるために、平均点90点取れる力がありながらも、平均点40点くらいで過ごしたほうが丁度良かったりする。
とくにうちの会社みたいに、結果とかプロセスとか関係なく、年齢に合わせて給料が決まっているような場合には。