年をとる覚悟。

28歳、最後の日。


この一年は、今までの人生の中でも、最低の部類に入る一年だった。
ロクでもない一年だった、というべきだろうか。
まともだったのは最初の1ヶ月で、そこから先は、転がるように情緒不安定のまま過ごしてきた。
しまいには、軽い鬱、軽いパニック症候群にまで罹る始末。


失うものばかりだった。
得たものは、自分の金で買った「モノ」ばかりで、そうでないものは失うばかりだった。


本当に、ろくでもない、最低の一年だった。


次の一年は、そんな辛いことも、自分の糧にできるように、精一杯生きたい。

…なんて、小学生の読書感想文みたいな感想で締めるには、28歳は現実を見すぎてしまっている。


若いときの苦労は買ってでもしろ、なんてほざく年寄りがいるけれど、この一年で食らったダメージを、自発的にもう一度味わえ、なんて言われたら首を吊りたくなる。
辛いことから学ぶことなんて、そんなに多くない。


体や心を壊してまで苦労なんて味わいたくないし、一生苦労とは関係なしに生きていけるのなら、そのほうがずっといいに決まっている。
だからこそ、人間は夢を見るんだと思う。大金持ちを夢見て、宝くじを買ってみたり。


でも、28にもなると、その夢すらも、見ることがめんどくさい。
別に大金なんて要らないから、とりあえず食うのに困らない程度の金が稼げればいいや、と、思えたりするようになる。


それを、「大志を失った」と見るのか、「現実主義になった」と見るのか、人によって違うだろう。
人は僕を、意気地なし、勇気なし、と罵るかもしれない。実際に、そう罵った人もいる。


確かに、今の僕には守るべきものは何もない。
でも、今の環境を捨てるには、28歳は年寄りすぎる。転職するにしても、もう、第2新卒の枠には入れない。手に職がないと、転職は厳しい。そして、手に職がないことは、自分がよく分かっている。


守るべきものもない僕だけど、だからといって、ハイリターンを求めて生きるには、やっぱりリスクが高いのだ。
ローリスク・ローリターンの人生に満足しているわけでもない。でも、リターンとリスクの関係を分析して、リターンに見合うリスクなのかどうか、を冷静に考えられる程度には、もうオトナなのだ。
それを「大志を失った」と罵られるのなら、どうぞ罵ってくれて構わない。
夢物語だけに生きていける僕ではないし、罵られたところで僕の人生は僕の人生なのだから。
もっとも、僕がその人の人生を見る限り、ハイリスク・ローリターンの人生を歩んでいるようにしか見えないのが不思議なのだが。。。


高校や大学の頃の自分は、まさに精一杯生きていたと思う。
何事にも全力でぶつかっていけた。
でも、今は違う。
フルスロットルで走ることがどれだけリスクと無駄が大きいかを、残念ながら分かるような年になってしまった。
自分の全力を求められて、全力を尽くして、それが至らなかったときに、全力を出したほうが悪い、と言われるのがオチだ、ということが分かってきた。


これからの精一杯は、いかに全力を出さないか。
アクセルを踏みすぎないように必要最小限に、なんならあえてブレーキを踏む。
丁寧に、丁寧に生きる。その調整に対して、精一杯になるのだろうか。


書いていて、自分の人生がつまらない、くだらない人生にも思えてきた。
こんな文章消したいのだけど、28才にどんなことを考えていたのか、よく分かるように残しておこう。
そして、そんな人生だけど、そんな人生を選んだのは、おおよそ僕の責任なのだから、自分で責任を取らなければならないね。


でも、考えようによってはそんな悪くないかもしれない。
エリザベス女王を乗せた新幹線のお召し列車の運転手みたいに、表示された速度の、そのギリギリを操って走る。
ちょっとだけ速くても、ちょっとだけ遅くてもダメ。
フルノッチで走りまくるんじゃなくて、ほんのわずかの過不足もなく、必要なパワーで生きる。
・・・それが出来てたら、こんな人生じゃなかったんだろうけれど。。。。


次の一年は、この一年よりも短い一年に感じるはずだ。
それは、数式でも表すことができる。
ある人物がx才のときの一年は、1/xで表すことができる。その人物がひとつ年をとり、x+1才になったら、その一年は、1/(x+1)と表される。
したがって、x才よりも、(x+1)才のほうが短く感じるのは当たり前なのだ、という理屈だ。


僕の29才は、28才の1年よりも、少し短い1年になるはずだ。
ただただ僕の願いはひとつ。
28才よりも、少しはマシな一年になって欲しい、という、ただ、それだけ。


・・・覚悟。
覚悟、なんてかっこいい響きの言葉をタイトルに使っちゃったけど、別に覚悟なんてない。
あるとしたら。
たとえ、29才の1年が、28才の1年と同じくらい惨めな1年になったとしても、たとえ後ろ向きでも生きていかなきゃいけない、という、ただそれだけのことで。
そして、28才の1年で、何度かドロップアウトを考えた自分にとっては、それが一番しんどいことで。
これが「覚悟」なのかもしれない。