つれづれ

常識を知っていて、常識はずれの沼に飛びこんで生きていこうとしてた。

その沼を歩けているうちは誰も、何も言わなかった。

沼に足を取られて、僕はもがき、苦しんだ。

周りの友人は「それみたことか」と、僕に常識を説いた。

僕が求めているのは、いまここで常識を説くことじゃなくて、ただただ、手を差し伸べてくれることだった。

でも、誰も手を差し伸べず、「だから常識の道を歩いていれば」ということだけだった。



常識の道を知っていて、あえて非常識の沼に飛び込んだ僕。
常識の道を歩いている友人たちは、誰一人として、そんな僕が非常識の沼で溺れ沈みかけているときに、助けを差し伸べようとしなかった。


常識の道を外れ、自ら非常識の沼に飛び込んだ僕を助けられるのは、僕だけだ。


でも僕は、非常識の沼に入ったことを後悔しない。たとえ溺れ死のうとも。
いや、ぜったいに溺れ死んだりしない。渡りきってやる。
常識の道を歩いている友人に、一切助けを求めることなく、渡りきってやる。
そして、渡りきったときに、非常識の沼を歩く行為を「常識」に変えてみせてやる。