ただ単に見苦しくて卑しいだけなのさ

結局のところ、僕は単純に、やきもちを焼いているだけなんだと思う。
いや、やきもちというのは違う。
正確に言うと、焦り、もしくは怒り、もしくは寂しさ。これらが複雑に入り混じった感情なのだろう。


僕は孤独主義者だ。
僕は、馴れ合いが嫌いだ。
他人に気を遣ってヘコヘコして、自分のやりたいことを押し込めて生きていくなら、一人で生きて行きたいと思う。
自分の好きなときにDVDを見たり、テレビを見られなかったり、自分の食べたいものが食べられなかったり、エロ本やエロいインターネットをすることができないのなら、結婚なんかしなくてもいい、とさえ思っていたりする。
他人に気を遣って、自分の見たいものが見られないのなら、誰かと旅行に行くよりかは、独りで旅に出たほうが数倍もマシなのだ。


でも、
僕はとても寂しがり屋で。
波長が合った人とは、気を遣うことすら全く苦にならない。
僕はそんな人と一緒にいるだけで幸せなので、自分のしたいこととか出来ないようなちんまりとした不幸せはどっかにすっ飛んでいってしまうのだから。
ただ単に、そんな人と一緒にいられさえすれば、それだけで幸せなんだから。


だから僕の交友範囲はおのずと狭くなる。
親友と呼べる人間は片手で数えられる。友人と呼べる人間は両手で数えられる。
あとの人は「知り合い」だ。


だが、
その友人たちは僕と同じような考え方をしているとは限らない。
交友範囲を広く持つような人もいる。
僕にとっては数少ない掛替えのない友人であっても、彼らからしたら数多い友人の一人だったりするのだ。
僕が彼らに求める「人間関係の重要度」と、彼らが僕に求める「人間関係の重要度」は、大きく違っていたりするのだ。


それが僕を臆病にする。


そして、
僕しか友人がいなくて、何をするにも僕にお伺いを立てて、いちいち僕の意思を確認していたような人が、
だんだんと社会復帰していって、だんだん僕を介さない友人を増やしていって、
いつの間にか僕より友人の数が増えていて、
いつの間にか僕と話すことがだんだんと無くなっていって、
彼は僕から離れていく。


僕はそんな彼に激しく嫉妬するのだ。
いや、嫉妬ではない。
僕から離れていくこと、僕が友人として重要度が下がっていくこと、そして何よりも僕から自立していくことに、寂しさと焦りと、ちょっとした怒りを僕は覚えるのだ。


僕は無意識のうちに、彼に支配欲を持っていたのだろう。
そして彼はそれを見抜いたのだろう。


こうして僕は、自分の見苦しくて卑しい性格のために、数少ない友人をまた失うのだ。