喪失感

仲根かすみ結婚の報を聞いて、なんとなくショックな気持ちは抜けない、むしろ強くなっている。
彼女の結婚がめでたいことに変わりはないし、お祝いの気持ちなのだけど、喪失感が強いのは、ファンだったからかもしれない。


そして、つい最近もこんな喪失感を感じてたなぁ、とデ・ジャヴを感じて振り返ってみたら、11月の末に同じようなことがあって、ちょっと落ち込んでた。


高校時代の友人(♂)が東京に来たので、一緒に食事をした。彼との付き合いはもう12年になる。中学時代、同じ町の違う中学に通っていて、同じようにトランペット吹きだった。同じ高校に進学して再会、彼はトロンボーン吹きに転向して、大成した。
そんな彼が東京に来て、メシを食いながら僕にしゃべったこと。それは、同じ高校で同じくトランペットを吹いていた女の子が結婚するよ、という話だった。

高校時代、彼女とは口ゲンカばかりしていた。練習の仕方、音楽性、とにかく部活中に口を利けば口ゲンカになった。
お互いに嫌い合っていた”つもり”だった。そう振舞っていた。


僕は、彼女が好きだった。そして、彼女も僕を好いていたらしい。決して僕のうぬぼれではなく。


高校時代、僕と彼女は「ケンカするほど仲がいい」「もう2人はご夫婦さんだね」と、ケンカするたびに部活の連中にはやし立てられた。気の強いはずの彼女も、なぜか反論をせず、顔を赤くしながら僕を睨んでいた。


部活の引退が近づいた夏のある日、演奏会でソロをどうするか、という話になった。3年は引退のステージで、一人一回、必ずソロが与えられた。彼女は、ソロではなく、僕とのデュエットでないといやだ、と強硬に主張したらしい。しかし僕は、そのまえのステージでソロを吹いていたので断った。
彼女の友人からは、「彼女の気持ちに応えてあげなよ」と、責められた。当時の僕は何にも気付くことなく、いや、気付いていたけれど、自分の主張を通した。彼女は演奏会でソロを吹かず、後輩にソロを譲った。


僕が「彼女の気持ちに応える」ことは、卒業するまでなかった。卒業してからも、なかった。彼女とは同じ大学に進んだけれど、お互いに吹奏楽を離れ、別々のサークルに入った。大学でも学部が違い、顔を合わせることはなかったし、あってもお互いに強がって、嫌い合っているふりを続けていた。


この大学時代に、2回だけ、彼女に誘われたことがある。そのうち1回は、夜のドライブだった。
常識では応えることの出来ない誘いだった。でも、理性のスイッチさえ切ってしまえば、いとも簡単に誘いに乗ることができたはずだった。
彼女からの誘いは、大小含めたら結構あったかもしれない。しかし高校・大学時代の僕は、無駄に厳しかった。他人にも、自分にも。僕の理性のスイッチは、一回として切られなかった。
誘いに応じない僕を見て、彼女はどう思ったのかはわからない。僕を、誘いに乗れない、肝っ玉の小さい男だと判断したのか。それとも、自分に一切の気がない、これ以上好きでいても仕方ない、と判断したのか。
いずれにしても、それ以来、彼女からの音信はなく、同窓会で数回あったくらいである。


彼女が結婚する。ショックなのか、何なのかよくわからない。ただ言えることは、あのころ自分は彼女が好きで、それを何の行動にも出せなかった情けない男で、自分にウソをついていた卑しい男だった、という事実。
そして、彼女には心から謝って、心からおめでとうを言わなければならない、という事実。


彼女が僕を好きだった事実は、何人かが知っているけれど、僕が彼女を好きだった事実を、高校時代の友人は誰も知らない。
「彼女が結婚する」という話を聞いて、「あのじゃじゃ馬でさえ結婚相手見つけたのか。先を越されたな」と笑い飛ばして返事をするまでの一瞬の間に、僕の顔がショックで歪んだのを彼が見逃してくれていればいいのだけれど。


僕の高校時代の恋の思い出が、神保町の夜空に消えた。
夜の闇に吸い込まれて、代わりにその闇のような喪失感が、僕の胸の中に広がった。


俺のほうが出遅れたけど、幸せになってくれよな。