つれづれ

昨日は、少しでも残業時間を増やそうと終業後にCADにかかろうとしたら、上司が「今日の残業はちょっと…」と言ってきた。
何かあるのかと思いきや、「今日はサッカーがあるから」。そうだった、今日はサッカー日本代表がワールドカップ出場を賭けて、北朝鮮と戦う日だった。


で、特にサッカーに興味のない僕も、仕事を切り上げて家に戻り、テレビをつけた。
興味はなくても、一応、静岡県出身。ついでに言えば、サッカーで全国区の知名度を誇る高校に通っていて、3年を通じて、体育の授業は常にサッカーだった。入学時には、スパイクを強制購入させられた。そんな僕だから、一応はわかる。


開始30分まで見て、テレビを消した。
あまりにひどすぎる。ボールキープする気が全く感じられなかった。ボールのトラップが緩いので、ボールが流れてしまい、相手に渡ってしまう。パスミスで、北朝鮮選手にボールが渡ってしまう。そして、それを誰もフォローしに行かない。
やる気が感じられない試合は、応援していてもつまらない。
もしかしたら、引き分けでもいいや、くらいにでも考えてるのではないか、と疑うほどだった。


まあ、勝ってよかったけど、昨日みたいな試合してたら、ワールドカップでは通用しないだろうな、と思う。


強いチームほど勝つことに対して必死である。伝統を守るために。


高校時代に吹奏楽部だった僕は、サッカー部が試合をするたびに、応援に駆り出された。スピーカー代わりに、約2時間、休みなくトランペットを吹きつづけた。
それは肉体的には辛かった(特に唇は腫れあがった)けど、精神的にはとても楽しかった。僕が高校3年生の時、母校は10年ぶりくらいに国立への切符を手にした。そのときの応援は、今も忘れられない。
サッカーのプレーヤーも、応援団も、みんな必死だった。延長戦、勝ち越し点を入れたのはうちの高校だった。それも、オーバーヘッドキックで。


サッカーを、特に日本代表の試合を見ると、高校時代を思い出す。僕の高校の同期は、残念ながら日本代表にはいないけれど。
もう一度、あの頃に戻って、必死なまでのサッカーの試合を見ながら、必死なまでにラッパを吹きながら、応援しながら、サッカーを見たい。