第0章:自転車通勤を始めるまで

昔から、自転車が好きな子供だった。


補助輪付きの自転車を卒業した小学校低学年時代、父が買ってくれたのは20インチのマウンテンバイクだった。もちろん現代のような、サスもギアもない、子供だましというよりも完全な子供用だったけれど、僕はそのマウンテンバイクが大好きで、学区内を飛び出してあちらこちらに走り回った。かご無しが不便と文句を言ったら、父がハンドルに付けるバッグを買ってくれた。そしてハンドルに付けた単1電池4本使用のヘッドライト。これが武骨で好きだった。


そして中学に入ったころ、内装三段の真黒いシティサイクルに乗るようになり、毎朝、高校への7km強の通学路をこれで疾走した。かごに貼ったロスマンズのシールと、左右両方に付けたテールリフレクタ(自分はこれを「目玉」と呼んでいる)、その片側は今は無き「ランピール」(リアホイールのフォークに仕込んだマグネットとリフレクタ側に仕込まれたコイルで誘導発電し、走れば光るテールランプ)が僕の自転車の目印だった。高校で吹奏楽部に入り、近隣高校やホールにもこの自転車で走った。


高校3年になり、より速く走りたくなり、外装6段のシティサイクルに乗り換えた。「ランピール」を使った「目玉」を引き継いだこの自転車も良く走った。地元の大学に進学し、電車とバスを乗り継ぐ生活になったが、バス区間を自転車で走るため、父の運転するワンボックスでわざわざ大学まで送り込み、さらに2年乗り続けた。



ここから自転車に乗らない時代になる。
僕の通った大学は3年からキャンパス移動となり、別の街に住むことになる。その街でのアシとして、ギアなし軽快車を当地で買った。目玉は引き継がれず。4年乗り、最後は所属したゼミに「寄贈」した。おそらく数カ月後には放置自転車として処分されたろう。
社会人になり、上京すると、寮暮らしになったことに加え、(僕の大好きな)鉄道が発達していて、自転車に乗る機会を失った。


6年間のブランクを経て、今となっては、きっかけも時期も思いだせないが…。
今の嫁と同棲を始めた前だったか後だったか、寮を出て2回の引っ越しを済ませたころ。自分に好意を寄せていたと思しき後輩の家の近所に自転車屋があり、自治体の事業で放置自転車をリサイクルして売っている。そんな情報を元に、その自転車屋に行った。そして、20インチの折りたたみ自転車を買った。
嫁とのポタリングには何度か行ったが、なぜか自転車通勤をする、という頭にはならなかった。家から当時の会社まで8km、自転車通勤にはちょうどいい距離だったにも関わらず。そして自転車通勤が許可制と言いつつ黙認されていて、やりやすかったにも関わらず。
折りたたみ自転車のタイヤにはリサイクル車特有のひび割れがたくさんできていて、それを口実に内装3段のシティサイクルに乗り換えた。なんとなくリフレクタが入手できたので目玉を付けたけれど、嫁と時々ポタリングする以外に自転車に乗ることは無かった。このころ、健診であちこち引っかかり、とにかく歩くことにこだわっていた。散歩と称して練馬→杉並→新宿と半日近くかけて18kmほど歩いたこともある。毎週、嫁が社会人講座を受けに行く間に、自分は歩き回っていた。


思いだしたように自転車に乗ったりもしたが、そんな長距離を乗ることはなかった。1年に1回、30km程度乗ることがあった程度か。
自転車はマンションの駐輪場に放置され、クモの巣とほこりで白い車体は茶色と黒にまみれた。それを年に1回、公園の水道で洗う。そんな放置っぷりだった。


そんな放置された自転車に、日の目が当たったのは5月末だった。


(続く)